文鳥「まめ」との時間は、かけがえのないものでした。
動物と触れ合う機会がほとんどなかった私。
そんな私が初めて「心が通じる」と感じ、毎日帰宅するのが楽しみになっていきました。
落ち込んでいる時には寄り添ってくれた小さな存在ーそれが「まめ」
そして迎えた突然の別れ。
息ができないほどの悲しみの中で、私は初めて「命に終わりがある」ということを本当の意味で知りました。
この記事では、初代ペット・桜文鳥「まめ」とのエピソードを綴っています。
また、その時の感情を正直に綴っています。
まめとの日々を、少し覗いていただけると嬉しいです。
出会い

「動物は嫌いではないけど、飼うほどではない」という感覚だった私が、まめをお迎えするきっかけは夫の一言でした。
「一緒に見に行ってみよう」
ペットショップで初めて手に乗せてもらった瞬間、指に伝わる温もりと愛らしい表情に思わず魅了されてしまいました。
その日のうちに、サクラ文鳥の「まめ」をお迎えすることになりました。
出会いの詳しいエピソードはこちらの記事でご紹介しています。

鳥の表情の豊かさに気づいたのは、まさにこの瞬間でした。
文鳥「まめ」とのエピソード

手乗り文鳥とも呼ばれる文鳥は、人懐っこくて片手にすっぽり収まる愛らしいサイズ感。
我が家のまめも、その名の通り手に乗って眠ったり、呼ぶと飛んできてくれる子でした。
初めて目にした鳥の表情や温もりは、とても愛おしいものでした。

それでは具体的なエピソードをご紹介します。
放鳥中のふれあい

起床してすぐ、帰宅後すぐの1日2回放鳥するのが日課でした。
鳥かごを開けると、別室にいても私を探し出して左肩に止まって遊んでいました。
ふっと横を見た時に、首をかしげるように見上げる姿に思わず顔が綻びます。
まめの足から伝わる温もりは、なんとも愛おしいものでした。
朝起きればまめと触れ合える、帰ればまた遊べるという楽しみ。
眠たい朝も体は軽く、仕事からは胸を躍らせながら帰路についていました。

まめが日常に楽しみを与えてくれました。
豪快な水浴び
鳥かごの中では水浴びしなかったまめ。
正直、水浴びが苦手なのかなと思っていました。
ある日の放鳥中のことです。
コップの淵に佇むまめ。恐る恐る顔をつけている様子。

「わざわざそんな深いところに顔を突っ込んで水飲まなくてもいいのに 笑」
と思っていた矢先……

コップに飛び込んでしまいました。
コップの中で水飛沫を上げながら豪快に水浴びをするまめ。
ちなみに初めての水浴びは麦茶でした。

飛び散りすぎて散らかる〜と気になりつつ、思わず笑ってしまいました。
脱走と奇跡の帰還

夫がバルコニーでまめを遊ばせていたところ、外へ飛び立ってしまいました。
「臆病だから逃げない」という過信からくる夫の不注意でした。
向かいの家の屋根の上に止まったまめ。
10分以上、その場から動かずにいました。
屋根の下から「まめ〜!!」と何度も名前を呼んだところ、地面に降り立ち、手の中へ。
外に飛び出した驚きで一箇所から動かなかったこと。
そして呼び声に反応して近くに来てくれたこと。
いくつかの奇跡が重なって無事に帰宅できました。

名前を呼んで戻ってきてくれた。
心が通じていたんだと感じた瞬間でした。
落ち込んでいるのがわかるの?

私が落ち込んでいる時、まめは必ず私の手に乗ってきました。
まめの特等席はテレビの前。
いつもそこを陣取っていました。

にもかかわらず、私が落ち込んでいる時に限って、なぜか必ず私の手に乗って離れない。
そして、そのまま眠ってしまうのです。
実際のところ、まめの意図はわかりません。
ですが、その温もりに励まされ、癒されたことは事実です。
この時に初めて「鳥って、隠していても私の気持ちが伝わるんだ」と思いました。
人間相手のように上辺で誤魔化すことはできず、察知しているんですかね。
なんとも不思議な時間でした。

いつの間にか「まめ」は私の心の拠り所になっていました。
突然の別れ

お迎えして3ヶ月が過ぎた頃、まめは突然虹の橋を渡ってしまいました。
帰宅後の触れ合いが楽しみになり、生きがいになっていた頃のことです。
ある日の仕事中、自宅にいた夫からの着信が。
仕事中に連絡してくることなんてないので何だろう?と思いながら応答しました。
「まめが死んだ」
頭が真っ白になりました。
「そんなはずない。まだ生きているはず。」
仕事を切り上げて、すぐに帰宅することにしました。
仕事場から自宅まで1時間以上。
向かっている間、まめとの記憶が次々と頭に浮かびます。
帰宅すると「ピピっ」と鳴きながら肩に飛んでくるまめ。
手の中で眠るまめ。
落ち込んでいる時に温もりで安心させてくれたまめ——。
帰宅して対面した姿に、今朝見た生き生きとしたまめの姿はありませんでした。
まるでただの容れ物だったかのような、無機質で私の知らないまめでした。
「どうにか息を吹き返してほしい」
「もう一度鳴いて私を呼んでほしい」
「いつものように首を傾げて見上げてほしい」
息ができないほどの悲しみでした。
「まめ……まめ……」と何度も消えるような声で呼びながら泣きました。
なんでこうなってしまうの。
当時の私はいずれ来る別れを想像したこともなく、まめとの別れを受け入れることができませんでした。
失うことの悲しみと、命あるものには必ず終わりがあることを初めて本当の意味で知った経験でした。

生き物はみんな死ぬ。
そんな当たり前のことが本当の意味で捉えられていなかったことに気づいた出来事でした。
まとめ 文鳥「まめ」が教えてくれたこと

まめとの3ヶ月は、温もりを感じることの癒し、心が通じる喜び、そして命に終わりがあるということを教えてくれました。
「まめ」が亡くなった時、私はまめに癒しを求めて依存していたことに気づきました。
「死んでもらっては困る」という気持ちの裏には、「ずっと私のそばにいてほしい」という自分の欲があったのかもしれません。
だから別れを受け入れられなかった。
生きているかぎり、別れは必ず訪れます。
悲しくて、寂しい。
今でもふとまめを思い出すと涙することがあります。
でもそれは悲しいだけの涙じゃなくて、どこか心が温かくなるような、思い出を抱きしめるような涙です。
無理に「受け入れた」と思わなくていい。
自然に「ありがとう」と思える瞬間が来た時、それが答えなのかなと思っています。
まめと一緒に過ごした時間、そして別れ。
別れの辛さを経験してもなお、まめと出会えてよかった。
丸ごとひっくるめて、大切な経験でした。
小さなカラダでたくさんのことを教えてくれたまめのお話でした。

感情的な表現が多い記事でしたが、等身大の私を少しでも知っていただけると幸いです。

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